日本人を思考停止に追い込んだ非核三原則、見直しが急務
3/28(月)
JBpress
ロシアによるウクライナ侵略戦争の出口が見えない。
この戦争で明確になったことは、国連の常任理事国が、核の脅しを背景に、力による現状変更、つまり侵略戦争を始めれば誰も止められないということだ。
国連は無力な醜態を晒し、米国は早々に武力不行使を宣言した。
ウラジーミル・プーチン露大統領は2014年のクリミア併合を巡るインタビューで、「核兵器を使う用意があった」と述べた。
ジョー・バイデン米大統領が早々に米軍は派遣しないと宣言したのも、この発言が多分に影響を及ぼしている。
戦略家エドワード・ルトワックは「核兵器は使われない限り有効」と喝破した。
核はなるほど使い難い兵器になった。広島、長崎以降、核は使用されていない。
では核は無駄かというと残念ながら現実はそうなっていない。
核による威嚇、恫喝が極めて有効であり、外交力、国防力を格段に向上させることをロシアは世界に証明してみせた。
日本にとって、これは他人事ではない。
我が国の隣には、もう一つの「力の信奉者」である常任理事国、中国がいる。中国は台湾併合を国家目標と掲げ、武力併合を否定していない。
中国が台湾武力併合に動いた時、習近平国家主席が「米国が参戦すれば、核の使用も辞さない」と言えば米国はどう動くのだろう。
台湾有事は日本有事である。
核をちらつかされても日本は台湾への支援を実施するのか。
核に対しては核である。核を通常兵器で抑止することはできない。
日本への「核の傘」は果たして有効なのか。
ウクライナ戦争の現実をみて、不安を覚える国民が増えたようだ。
NATO(北大西洋条約機構)の「核共有」の話題が降って湧いた。
世論調査では、核共有について賛成が約2割、核共有については反対だが、核の議論はすべきが約6割あった。
国民の約8割が核について議論すべきと考えている。
先日、安倍晋三元総理が核の議論を提起した。
これだけで有力メディアはヒステリー気味になり、バッシングが起こり、言論封殺の空気が蔓延した。
メディアは国民の感覚と相当ずれている。
安全保障政策は国民の自由闊達な議論の末に決定されなければならない。
それは核抑止政策についても同じはずだ。
日本はこれまで「核」と言った途端、思考停止してきた。
非核三原則に「考えない」「議論しない」を加えた非核五原則だとも言われてきた。
そのせいか、核に対する国民の知識レベルは驚くほど低い。
こちらの方がよほど恐ろしい。正しい知識をもって、自由闊達な議論が行えるようにしなければ国を誤ることにもなりかねない。
「核共有」(Nuclear Sharing)についても、政治家、メディアの知識レベルは低い。
冷戦時、NATOの最大の課題はソ連の機甲部隊を阻止することであった。
ソ連機甲部隊がウクライナからポーランドを経て欧州に進撃するのに、これを邪魔する山はない。
幅約300キロ以上にわたる前線に、何千という戦車が一斉に雲霞のごとく押し寄せることが想定された。
これを阻止するには、とてもNATOの通常戦力では足りない。
そこで米国は戦闘機に戦術核を搭載し、これを空から阻止する作戦を立てた。
だが、米軍の戦闘機を総動員しても手が足りない。
そこで米軍以外のNATOの空軍にも支援を求めたのが「核共有」である。
現在、核共有しているのは、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、トルコの5カ国 、6カ所(イタリアが2カ所)であり、約150の核爆弾(B61)が保管されている。
冷戦の最盛期には最大約7000の戦術核がNATO加盟国に配備されていた。
ソ連の防空網をかいくぐって戦術核を機甲部隊に落とすため、超低高度を高速で侵出し、目標手前で急激に引き起こし、上昇角度約45度で戦術核を切り離す。
戦術核はそのまま上昇し放物線を描いて落下する。
その間の時間を利用して爆発地点からできるだけ遠くに離脱し、核爆発で自機を損傷しないようにする。
この爆撃方法を「トスボンビング」と呼んでいる。
いわば敵と刺し違える危険な戦法なので、訓練でも事故が多発した。
西ドイツはこのために超音速戦闘機「F104」を導入したが、事故の多さに「未亡人製造機」と揶揄された。
冷戦終了後、ソ連が崩壊し、機甲部隊の大規模進撃想定も幻となった。
核共有も役目を終え、約7000発の戦術核も徐々に削減されていった。
だが2014年、ロシアによるクリミア半島併合が起きた。
プーチン大統領の「核を使う用意」の発言があり、削減は凍結され、現在、5か国に約150発が残された。
現在は機甲軍団の進撃阻止という戦術的目的ではなく、米国の「核の傘」の信頼性を向上させる、いわば「安心」の提供が目的となっている。
核使用については、NATOが決心して米国と核共有国が実行する。その際、米国が拒否すれば核共有国も核使用はできない。
逆に米国が同意しても、核共有国が拒否すれば共有した核は使用されない。
だが、核共有国が拒否しても米国は単独で核使用ができるため、事実上、米国が決心すれば、核共有国も核使用は不可避となる。
核共有は、いわば「レンタル予約」と表現した学者もいる。
米国の核を予約しているだけで、米国がノーと言えば共有国が単独で使用することはできない。
核共有国のメリットは、核使用の協議や作戦計画策定に参画できることである。
米国、英国、フランスという核保有国が勝手に核使用を決断するのではなく、非核国も核使用のプロセスに参画できるメリットは大きい。安心感が「共有」できる。
日本で核を議論する場合、欧州の「核共有」は参考にならない。
中国の戦車が雲霞のごとく海を渡って攻めてくるわけでない。
船舶であれば核でなくても対処できる。
結論から言うと、日本に今求められているのは、今後とも「非核三原則」を続けるか否かの議論である。
中国は通常兵器のみならず、核兵器でも米国を凌駕しようとしている。
ロイド・オースティン米国防長官は、中国は2030年までに核弾頭を約1000発に増勢し、核戦力の3本柱(地上配備、潜水艦発射、戦略爆撃機搭載)強化を目指していると述べた。
戦略核も問題だが、日本にとっては、中距離核戦力が既に米中で著しく不均衡になっている問題が大きい。
1970年代後半、ソ連は中距離核ミサイル(SS20)を配備した。
核の不均衡が生じ、「核の傘」に疑念を抱いた欧州はSS20と同等の中距離核戦力(パーシング II、地上発射巡航ミサイル)の欧州配備を米国に迫った。
核配備で均衡が実現するや、米ソ軍縮交渉が始まり、1987年、中距離核戦力は全廃された。
軍拡によって軍縮を実現した成功例であるが、皮肉にもこの成功が米中の中距離核戦力の著しい不均衡を生んだ。
条約の制約を受けない中国は、日本、グアムを射程に収める中距離ミサイルを着々と整備し、今や1250基が配備されている(米議会報告)。
これに対して米国はゼロであり、著しい不均衡が生じた。
憂慮したドナルド・トランプ政権はINF条約から離脱し、中距離核戦力を急ピッチで再構築中である。
「力の不均衡」はウクライナを見るまでもなく、戦争の可能性を高める。
「力の信奉者」である中国への抑止が崩れれば、東アジアの平和と安定は危うくなる。
核による威嚇、恫喝を無効化し、日本に向けられた中距離核戦力をどう廃絶させるか。
2021年3月、米インド太平洋軍司令官は議会に要望書を提出した。
中国への抑止は崩れつつあり、完成した中距離ミサイルは第1列島線(九州から沖縄、台湾、フィリピン、南シナ海に至るライン)に配備すべしとの要望である。
英国のマーガレット・サッチャー首相やドイツのヘルムート・シュミット首相(当時)が、反対世論を押し切って米国の中距離核戦力を持ち込み、均衡をとり戻して中距離核戦力を全廃したように、まずは「力の均衡」を取り戻し、米中の核軍縮交渉を開始させねばならない。
日本は積極的に受け入れるべきである。
中距離ミサイルは核弾頭も搭載可能である。米国は否定も肯定もしない(Neither confirm nor deny)戦略をとっている。
日本に配備する場合、当然、非核三原則に抵触する。
ことは日本および東アジアの安全保障である。そのために必要であれば、非核三原則も見直すべきだ。
平和の確保が目的であり、非核三原則の継続自体が目的であってはならない。
この議論が今求められている。
自民党は3月16日の安全保障調査会で、「核共有」をはじめ核抑止に関して勉強会を開いた。
だが「唯一の戦争被爆国として、世界平和に貢献する我が国の立場は絶対に崩すべきではない。『(非核三原則は)国是』とは大変適切な言葉だ」とさしたる議論もなく結論ありきで思考停止した。
この1回で検討は終了し、継続もしないという。まさに「アリバイ作り」で終わった。
「非核三原則」は我が国の安全のためになっているのかという国民の疑問に答えていない。
もし「非核三原則」を続けることが日本の安全保障にマイナスであれば、見直すべきである。
安全保障政策は感情に流されてはならない。
日本の国民、領土領海を守るには、いかなる政策が必要なのか。
政治家は現実を直視すべきである。
「あやまちを繰り返さないため」にも、「非核三原則」の継続が目的であってはならないし、金科玉条であってはならないのだ。
日本のコメント
戦前は好戦的、戦後は非戦的という違いはありますが、共通しているのはどちらも願望的楽観的な精神論が中心で、冷静な情勢分析がおざなりだったということです。
その点に関しては戦前も戦後も何も変わっていないと思います。
仮に中国が台湾や日本に侵攻を計画したとしても、そこで核兵器を使用する可能性は相当低いと思います。
そんなことをすればせっかくの侵攻先をただの不毛の大地にしかねないからです。
では核は必要ないのかと言えばそれも違うでしょう。
核を持つ意味はまさに抑止力にあると言えます。
実現可能性は置いておいて、そういうことをしっかり議論する土壌は必要だと思います。
露が核を使うかもしれない。
これだけで米もEUも警戒する。
核を持たぬ国が他国に侵攻したなら有志国連合でも組んで武力行使があったかもしれない。核を使えば悲惨な結果になるのは判っている。
核を持つ国同士が当事者であれば尚更。
核を使えば良くて相打ち。
双方に被害がでる。
通常兵器によるだけの戦闘よりハードルは高くなる。
核を持つという事はその使用に伴う被害の甚大さゆえの抑止力に他ならない。
通常兵器より使用に対して拠り慎重になる。
核は最後の抑止力として有するべき。使用すれば相打ちだと敵に悟らせる兵器だ。
核兵器保有云々もありますが、抑止力としての効果はてき面であることが証明されましたね。
北朝鮮然り保有する事が自国を守るお守りになるからです。
日本は米国の核の傘に守られているから大丈夫とかお気楽な事を言っている場合ではない、近隣諸国は少し危ない雰囲気を少なからず出している様に思う。
専守防衛などと危機意識が欠けた自衛隊を保有していますが、本当に有事に国民を守れる組織であるか甚だ疑問である。
二つの戦後からのタブー視されて来たことにそろそろメスを入れるべきではないかと思います。
自称平和愛好家や左派マスコミは、軍事に関することに言及しただけで人を右翼、軍国主義者のように非難し議論することすら押さえつけてきた。
憲法九条、非核三原則、武器輸出三原則、防衛費1%枠…
これらが作られたときはそれなりに背景や理由があったのだろうが、国際関係や安全保障の環境は変わっていくものであり、それに合わせて修正していかなければならないにもかかわらず、金科玉条、神聖不可侵のようにしてしまった。
特に9条はほとんど宗教だと思う。(信ずるものは救われる、あの世で救済される、に巻き込まれるのは御免である)
国民の生命と財産の保全が国家の存在意義であり、それを守るためにどうするのが最善なのかという事を議論のスタートすべきだと思う。
言霊信仰では無いが、軍事に触れなければ平和が訪れるという考えはあまりに情緒的であり現実逃避だ。
政治は現実に対峙すべきで、軍事のみならずエネルギー問題も同様である。
ただ核を持てば良いという訳ではない。
どこが打ったのかを正確に割り出せる能力も必要。
要注意国のサイロ、SLBMの兆候、戦略原潜の把握。
それには多数の衛星とシステムが必要だ。
あとは、強力な反撃力を温存できる戦略原潜も必須。
それを考えれば、核に使う防衛費は莫大でありその余裕は無いに等しい。
自国の防衛力強化の方が現実的な気がする。
一発で大規模な被害をもたらすはずの核をなぜ複数個持つ理由があるのかの視点が欠落
よく、核戦争が起こった場合、核兵器を使えば首都圏、近畿圏に2つも水爆を落とせば終わると言われ事実そのはずですが(大量報復戦略)中国が多数の核兵器を持つのか理由が欠如しています。(相互確証破壊戦略 核兵器を核兵器で攻撃する)
日本国民に基礎的核の考え方がないことを指摘しておきながら説明不足が否めません。
相互確証破壊戦略は核兵器などを地下基地(サイロ)、移動発射台などで守り敵が核ミサイルでないと破壊できないほど守ることで互いに核で核ミサイル基地を攻撃するとの考え方です。
普通に考えて大量報復戦略以上の核をもってなんになるか不思議ですが中露ともに大量の核をもっていることを考えるとこの考え方や限定核戦争の考え方をもっているものと思われます。
この文章も核兵器の説明が不十分なように思われました。
そもそも「戦力の放棄」とは、侵略される可能性があることを承知の上で、無用な紛争に巻き込まれる可能性を減らす方に賭ける戦略。
武装するなら武装するで、逆のリスクを伴うし、確実に国を守れる「攻略法」のようなものはどこにもない。
さらに国防はタダでは出来ない=税金を無駄にするリスクがある。
軍事費を投じることが割に合うかどうかは、「侵略される確率× 想定される損害」を上回るかどうかで決まる。
確かにこれからは変えていく必要があるとは思うが、今までが間違いだったとまでは思わない。
置かれた状況に合わせ、わが国は全く正しく行動していた。
核共有など最終決定権はどうせ米になるのだろう。
米が友好国や中立国としている国と日本が有事になった際に、ウクライナの有事を見ていると米は核の使用を拒否するに決まっている。
そんなことは第三国には大方見透かされているのに、共有なんかしたところで思いやり予算に追加で共有料を取られるだけで税金の無駄遣いするだけで何の抑止力にもならない。
そんな金があるならどんな手を使っても所有すべき。
日本は非核三原則を守っていても勝手に射たれる危険があるのだから、着弾を防止する努力と同時に射たせない努力もすべき。
日本には話し合いで解決しようと実際に行動する人はいないのは過去が証明しているし、したところで成功させる有能な人などいないのは今の国会議員のツラを見たら誰でも分かるだろう。
日本人は核兵器を心から憎んでいるのは、重々承知しているが、それでも、今の日本の状況では議論しないとならなくなったと思う。
持っていないは、侵略される可能性があるのは、今回のロシアの行動で証明されてしまった。
日本は、ロシア、中国、北朝鮮と、核保有国と隣国にある。
この先、何が起こっても不思議では無いのも事実だと思うし、それらに備える意味も含めて、核兵器も一つのオプションとして、考えるべきだと思う。
敵性艦船が津軽海峡などの国際海峡を航行している現実がある。
核を保有するかは別にして、そうした状況にどう対応していくかは考えなくてはならない。佐藤内閣時代と現在では国際情勢が大きく異なっている。
それを踏まえて、非核三原則を堅持するのか議論する必要があると思う。
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