プロパガンダは、娯楽の顔をしてやって来る
豊富な事例で「宣伝戦」の実態を暴く
2015/10/24
東洋経済
タイトルに違和感を持つ人は多いかもしれない。
政治宣伝を意味する「プロパガンダ」と聞けば、権力者を讃える映像や音楽を嫌々に観たり聞いたりする印象が強い。
そして、その映像は退屈きわまりなく、楽しいわけがないからだ。
本書『たのしいプロパガンダ』を読めばその考えは一変する。
ナチスはもちろん、欧米や東アジア、そして日本でかつて展開されたプロパガンダの実例が豊富に並ぶが、「プロパガンダの多くは楽しさを目指してきた」と著者は語る。
銃を突きつけるよりも、エンタメ作品の中に政治的メッセージを紛れ込ませ、知らず知らずのうちに特定の方向へ誘導することこそ効果的だろうと指摘されれば、確かにその通りだ。
中でも、「プロパガンダの達人」として紹介されるのが、北朝鮮の故・金正日。
北朝鮮と言えば、将軍様を讃える映画や個人崇拝の歌の数々が頭に浮かぶ。
「どこが達人なんだ!」と叫びたくもなるだろうが、金正日の発言からは意外にも硬軟交えて人民を操縦しようというプロパガンダ術が読み取れるという。
一糸乱れぬ軍事パレードや無駄に勇ましい女性キャスターからは理解できない世界が北朝鮮にも広がっているのだ。
1980年代初頭には高麗王朝時代の悪政を敷く朝廷に対し、怪獣プルガサリが大暴れする怪獣映画『プルサガリ』を作ったり、シンセサイザーや電子オルガンで編成された楽団を編成したり。政治と直接関係のない怪獣映画や、最新式の電子音楽機器を取り入れ、軍国主義的な精神や歌詞を国民に浸透させようとしている。 とはいえ、作られた歌はメロディーや歌い方は柔らかいものの、歌詞はプロパガンダ臭を全く隠そうとしていない。
ソ連崩壊を受けての「社会主義を守ろう」(1991年)、個人崇拝丸出しの「あなたがいなければ私もいない」(1993年)。
われわれが「プロパガンダ」として、連想するような中身が多い。
数は少ないものの、金正日の「政治用語を羅列した歌詞は役に立たない」という思想を具現化した作品もある。「将軍様、縮地法を使う」(1996年)は金正日が縮地法(ワープ)を使って神出鬼没にどこにでもあらわれるという内容。
どこまで戦略的なのかはわからないが、ここまで突き進むと、聴き入ってしまうかも。
抗日ゴリゴリのプロパガンダを進めてきた、中国についても本書は触れる。
中国と言えば戦後も長らく抗日映画やドラマをつくり続けてきたが、近年は、中国人がカンフーで日本兵を真っ二つにするという荒唐無稽なストーリーも少なくない。
もはやここまで滑稽だとプロパガンダの力はなく、単なる娯楽作品と著者は切り捨てるが、若年層には新しい形でのプロパガンダが広まっているとか。
代表例は、日本兵を打ち倒すテーマパークの建設や兵士の視点でプレイして魚釣島(尖閣諸島)を守るシューティングゲームの普及。
特にゲームはインターネット上に無数に存在しており、日本のA級戦犯の看板を射撃して点数を競ったり、東京を空襲してボスキャラを倒したり。
ちなみにボスキャラは岸信介だ。
正直、これらは洗練されたとはいえない事例だが、プロパガンダが洗練され効力を発揮するのは戦時中だろう。第二次世界大戦中はナチスはもちろん、西側陣営も「楽しいプロパガンダ」に励んでいた。
特に、米国では名だたるエンタメ企業が協力。名なのはディスニーのアニメ『総統の顔』。ナルドダックがドイツを模した「狂気の国」で暮らし、壁の肖像画に向かって「ハイル・ヒトラー!、ハイル・ヒロヒト!、ハイル・ムッソリーニ!」と挨拶させられる。
『我が闘争』を無理矢理読まされ、軍需工場で働かされているうちに精神に変調をきたすという物語。43年のアカデミー賞短編アニメ賞を受賞している。
確かに、カンフーで日本兵を真っ二つにするドラマに比べて、構成も工夫されており、かなり印象が違う。
気になるのは当時の日本のプロパガンダに対しての考え方だろう。
意外にも、楽しいプロパガンダを普及させる下地はあったという。
日中戦争時に、陸軍の清水盛明中佐は「宣伝は楽しくなければならない」と説いていたし、海軍省の松島慶三は軍歌の作詞を自ら手がけ、歌を落語家や浪曲師に吹き込ませたこともあった。
宝塚少女歌劇団の原作も手がけて平時からプロパガンダに勤しんだ。
ただ、彼らは軍部では傍流であり、異端児であり、戦争が激化するにつれ、プロパガンダの能力を自由に発揮する場が少なくなっていった。
こうした歴史を辿りながら、現代日本のプロパガンダの萌芽に触れているのが本書の読みどころのひとつ。自衛隊の採用ポスターなどの萌えミリ(萌えとミリタリーの合成語)や広報戦略、「右傾エンタメ」と呼ばれる百田尚樹などの小説を分析する。
こうした事象に右傾化と騒ぐ層はいるものの、見当違いの指摘も少なくない。
プロパガンダとしてとらえても全く未熟であり、大騒ぎする必要はないというのが著者の結論だ。
著者はむしろ6月に自民党議員が「文化芸術懇話会」を発足したことに注目する。
設立趣意書をひもとくと、政策浸透に芸術を利用する思惑が透けてみえると指摘する。
プロパガンダはいくら手法が精緻化されても民衆に受け入れる土壌がなければ広まらない。
一方、政府の動きを何でもかんでもプロパガンダにとらえるような人種やメディアも存在するが、多くの人々はプロパガンダを意識して生活などしていない。
そうした大多数の民衆が不平不満を持ったときに、プロパガンダは想像以上の速さで浸透する。
そして、そこには必ず営利目的の民間企業の存在が見え隠れする。権力側の思惑を忖度し、企業が自ら進んでプロパガンダを山のようにつくるのは歴史をみれば明らかだろう。
我々は将軍様のように「縮地(ワープ)」できないのだから現実を生きるしかない。
煽動されないためには、歴史に学ぶしかない。
紛争国での偽情報とプロパガンダに対抗するには
2022/03/22
Geraldine Wong Sak Hoi
ロシアがウクライナの都市に初めてミサイルを打ち放った日の数週間前、クレムリンはウクライナ政府について一連の主張を行った。
ロシア国営テレビは、ウクライナ軍がロシア国境沿いのドネツクとルハンスクの分離独立派支配地域で大量虐殺をしていると報道。ソーシャルメディアには、ウクライナを侵略国として描く目的で、犠牲者とされる人々を登場させたフェイク動画が投稿された。
侵攻が始まると、偽情報が洪水のように氾濫した。
ロシア発祥のSNS「テレグラム」では、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が国外に脱出したという偽情報他のサイトへが親ロシア派のアカウントから拡散された。
ロシア政府は侵攻開始から10日後、政府見解に従わないロシアの独立系メディアや外国人ジャーナリストを業務停止にする「フェイクニュース」法を打ち出した。
スイス平和財団スイスピースのデジタル専門家エマ・バウムホーファー氏は、「これは(真相が把握されることを)さまざまな角度から防ぎ、カオスと混乱のムードを生み出すための戦略だ」と言う。
プロパガンダは紛争国が民衆の心をつかみ、勝利するための手段として昔から戦争で用いられてきた。
だがソーシャルメディアやインターネット、スマートフォンの普及を背景に、交戦国は情報を比較的容易に、迅速に、そして広範囲に「武器化」できるようになった。
オンラインで拡散した偽情報はその後、オフラインでも広がる。
すると、バウムホーファー氏が言うところの「複雑な情報環境」が強まり、真実と虚偽の区別が難しくなる。
ウクライナからアフリカまで、偽情報で危機が悪化
ウクライナもロシア同様、独自のプロパガンダ活動を通して情報戦争に参加している。
例えばウクライナ当局は、ロシア兵の死者数は米情報機関の推定死者数やクレムリン発表の死者数をはるかに上回ると主張。捕虜とされる人々を報道陣の前に登場させたことさえある。
スイスのシンクタンク「フォラウス」のジュリア・ホーフシュテッター氏によれば、どの戦争でも当事者は成功を強調して軍の士気を上げようとする。
サイバー空間における紛争とデジタル平和構築を専門とする同氏は、「多くの紛争では、インターネット上の偽情報は自国民の支持を集め、敵を動揺させ、和平プロセスを崩壊させるために使われている」と語る。
情報戦争には、場合によっては民間人、非国家主体、さらには他国政府が参加することもある。
ウクライナでは、ロシア兵捕虜とされる人物が映る真偽不明の動画を、一般市民がソーシャルメディアに投稿。有志のハッカーたちはロシアの「プロパガンダマシーン」にダメージを与えるために同国政府機関ウェブサイトや国営メディアを攻撃した。また、バウムホーファー氏によれば、米国はロシアが侵攻に先駆けて描いていたシナリオを崩す目的で独自の機密情報を公開した。
ウクライナ戦争では偽情報を巧みに発信しているロシアだが、国外の紛争に偽情報を使って介入したこともある。バウムホーファー氏は、ロシアは長年にわたり今回の戦争と同様の偽情報戦略を頻繁に用いてきたと指摘する。
その例が中央アフリカ共和国のケースだ。
同国では激しい選挙が行われた2020年後半以降、暴力が増加。
米国平和研究所の研究者他のサイトへによれば、これは「ロシアとフランスが発信元とされるフェイクニュースやプロパガンダが拡散した時期と重なる」という。
紛争下の人々に信頼の置ける情報を届けることを目的にしたスイスのNGOヒロンデル財団のニコラ・ボワセ広報部長によると、ロシアは政府軍と非国家武装集団との戦闘がこの1年で激化した中央アフリカ共和国で、影響力の拡大を目指している。
同氏はまた、緊迫した政治状況や治安情勢における偽情報の重要性が大きくなったと語る。
事実で反撃
偽情報が国内の人々に与える影響は「重大であり、安全保障の危機が深刻化し、平和構築に関わるアクターの活動がさらに弱まる」と、ヒロンデル財団は指摘する他のサイトへ。
ローザンヌに拠点を置く同NGOは、事実に基づくジャーナリズムは平和に貢献できるという理念のもと、危機的状況にある国々の独立系メディアの支援およびジャーナリストの育成を25年以上行ってきた。この団体が中央アフリカ共和国で行ってきた活動を見れば、偽情報に対抗するための手段の一部を知ることができる。
「活動の中核は、分かりやすい言葉で、できるだけ簡単に事実を伝え、説明することだ」とボワセ氏。「私たちは日常的な関心事に関係する情報に焦点を当てることで、信頼の絆を作っている」
ヒロンデル財団は2年前に、2000年設立のラジオ・ンデケ・ルカ(RNL)他のサイトへと共に偽情報に対抗するための取り組みを開始。その一環として、RNLにファクトチェックの放送枠を設けた。これは今や同国で最も人気のある情報発信源だ。
できるだけ多くの人に伝えるため、ファクトチェッカーの報告内容はRNLやパートナー放送局、ウェブ、ソーシャルメディアで放送される。
事実確認はウクライナ戦争でも盛んに行われている。ジャーナリストや、英調査報道機関「ベリングキャット」などの市民団体は、侵攻開始以前からオープンソースのオンライン情報ツール(OSINT)を使って、ウクライナ側が攻撃を仕掛けたとする写真や動画がフェイクであることを暴き、侵攻を肯定するためのロシアの理屈に穴があることを示してきた。
ゼレンスキー大統領もスマートフォンで撮影した動画を自ら投稿し、ロシアの主張に反論している。
しかし、ファクトチェックをしたり独立系メディアを支援したりすることだけが偽情報への対抗手段ではない。
バウムホーファー氏は「事実を示すだけでは、人々の心を変えることはできない」と述べる。
「人々が偽情報を信じてしまう原因を元から断つ必要がある」
中央アフリカ共和国のケースでは、ヒロンデル財団はアーティストやミュージシャンなどのオピニオンリーダーに対し、「フェイクニュース」や偽情報の拡散防止について啓蒙するための公共イベントに出演するよう協力を求めている。
誤報、それとも偽情報?
しかし、ホーフシュテッター氏もバウムホーファー氏も、とりわけ報道管制の影響下にある人々を支援するにはデジタルリテラシーの向上が必要だと考える。
報道によれば、ツイッターとフェイスブックへのアクセスが遮断されているロシアでは、何十万人もの人々が仮想プライベートネットワーク(VPN)を使って他のニュースソースを探している。
しかし、大抵の人はこうした選択肢があることも、それがどう機能するのかも知らないとバウムホーファー氏は指摘する。
テック企業に行動求める圧力
ただ、変革が最も望まれる分野はソーシャルメディアだ。フェイクニュースと検証済み情報の拡散に非常に大きな役割を果たしているからだ。
今回の戦争で特に警戒心を高めているのがプラットフォーマーだ。外国メディアから高い注目を浴びていることがその要因だとシンクタンク・フォラウスのホーフシュテッター氏は推測する。
グーグル、ツイッター、メタ傘下のフェイスブックはロシアの侵攻開始後すぐ、欧州連合(EU)での放送が禁止された2つのロシア政府系メディア、ロシア・トゥデイとスプートニクをブロックした。
ツイッターとフェイスブックはまた、偽情報を投稿したアカウントを利用規約違反で停止または削除した他のサイトへ。
しかし、こうした対応はテック企業がこれまで取ってきた態度から逸脱している。ホーフシュテッター氏によれば、これらの企業は大抵の紛争に関して、ヘイトスピーチや偽情報の拡散を防ぐための対策を十分にはしてこなかった。
大きなターゲット市場ではない国の、現地言語で制作されたコンテンツを監視するためにリソースを投資することには消極的だったためだ。
巨大テック企業が偽情報に十分に対応しなかったことで、暴力が起き、死者が出るという最悪のケースも発生している。
ある独立調査報告書他のサイトへによると、フェイスブックが17年にミャンマーのロヒンギャ族に対するヘイトスピーチの拡散を野放しにしたことで、ロヒンギャ族への暴力を「可能にする環境」が作り出されたという。
「プラットフォームは、その成り立ちからして紛争を助長するものだ」とバウムホーファー氏は言う。「悪意のある行動や怒りの投稿が最も注目を集めてしまうため、プラットフォームではこうした言動が助長されがちだ」
平和のための技術
平和構築に従事する人たちがプラットフォームと連携すれば、プラットフォームは「より平和な議論の場」になると同氏は考える。
例えばプラットフォームには分裂したコミュニティーを仲介し、共通点を見出してきた経験がある。そうした経験を生かせば、プラットフォームはユーザー間の対立を助長する場ではなく、共通点を強調する場へと抜本的に変化できると同氏は言う。
つまり、あらゆる紛争において、テック企業にさらなる行動を求めて圧力をかけていくのが重要ということだ。紛争時に偽情報が問題となったのはウクライナ戦争が初めてというわけではない。
「どの紛争にも新たなシナリオがある」とバウムホーファー氏は言う。「だが、そのためにもっと備えることはできるはずだ」
プーチンは侵略者だとしても、日本人はウクライナのプロパガンダを丸呑みにしてもいいのか?
3/5(土)
YAHOO
ロシア軍のウクライナ侵攻により、プロパガンダが飛び交っている。
プロパガンダとは、「政治的な意図にもとづき、相手の思考や行動に(しばしば相手の意向を尊重せずして)影響を与えようとする組織的な宣伝活動」のことだ。
このような定義を聞くまでもなく、ツイッターなどのSNSを開けば、刺激的なことばや映像とともに、その手の情報をいくらでも見ることができる。「相手がさきに撃ってきた。自分たちは防衛したにすぎない」「いや、これは向こうの謀略だ」、「相手はこんなにも民間人を殺している」「いや、それこそ向こうのやり口だ」――と。
■いかに同情すべき被害者といっても……
最初に筆者の立場を明確にしておくと、今回のロシア軍の行動は明確な侵略行為であり、いかにウクライナ側に挑発など不手際があったとしても、とうてい容認されるべきものではない。
まっさきに批判されるべきなのは、侵略を主導したプーチンである。
とはいえ、プロパガンダについて気をつけるべきなのは、ロシアではなくウクライナだ。
なぜなら、少なくとも日本語圏では、ロシアはほとんど信頼を失っており、そのプロパガンダに騙される人間はほとんどいないからだ。そのいっぽうで、ウクライナは被害者であり、同情されており、その一挙手一投足に多くのひとが影響される可能性が高い。
日中戦争のときの日本と中国を思い出すとわかりやすいかもしれない。武力に秀でるが、国際情報戦に弱い日本。反対に、武力に劣るが、国際情報戦に強い中国。最終的に後者が国際世論を味方につけて戦勝国となった。
被害者なのだからそんな批判をしなくても……、というだろうか。
しかし、いかに同情すべき相手だからといって、その主張や要求を丸呑みしなければならないわけではない。被害者がこれを利用して、なにか別の主張もすることもありうる。
たとえば、なにかのセクハラ事件が起きたとする。被害者はとうぜん同情されるべきだ。しかし、その同情を利用して、男性や会社はすべて悪などと叫ぶ運動をはじめたとすれば、これは「やりすぎ」ということになるだろう。
まして今回の場合は、ひ弱な一個人ではなく、大きな国家の、戦時下の情報発信なのである。なにがしかの政治的な意図があるわけで、それなりに距離をとってみるべきなのは当然のことだ。
今後、時間がたてば、どれぐらい「大本営発表」が行われていたかは明らかになるだろう。
あらためて繰り返すまでもないが、この態度はウクライナ人に同情し、同国を支援すべきという立場と両立する。侵略行為は明白だからだ。とはいえ、刺激的な情報に踊らされる必要はない。したがってこれは、いわゆる「どっちもどっち論」ではない。
■プロパガンダの鉄則とは
もとより、戦局は時々刻々変化するので、ここでは個々の事例に触れるのではなく、プロパガンダ全般に対処する「構え」について指摘しておきたい。
古今東西、プロパガンダの鉄則は、「敵味方をはっきりさせ、中間を許さず、できるだけ単純なメッセージを、感情的に、大衆に向けてしつこく発信し続けよ」である。
日本も、ドイツも、アメリカも、イギリスも、ソ連も、北朝鮮も、ラジオ、映画、漫画、レコードなどの各種メディアを使ってこれを実践してきたわけだが、それ以上に、これほどSNS社会と相性のいいものもないだろう。
政府寄りのプロパガンダだけではない。「このままでは戦争になる」「いま立ち上がらないと」という煽りや、「参加しない人間は政権側」「沈黙は加担と同じ」などのレッテル貼りなどは、左派のデモへの動員にも共通する部分だ。
この点で、ウクライナ大使館の行動には注目に値する。
3月4日、コルスンスキー駐日大使がツイッターで、ウクライナへの支援を示すため、「東京タワーに青と黄色で点灯するように依頼しました。拒否されました」と発信したのだ(現在は削除)。
要請するのはいい。祖国の危難に、なにかやらねばと思う気持ちもわかる。だが、「拒否された」とさらすのはいただけない。「なぜやらないんだ」と批判を呼び込む、犬笛になるかもしれないからだ。
それぞれの個人や組織には事情がある。支援の仕方もそれぞれの自由である。
これについてはいまのところ、ウクライナ側の行動を疑問視する声も多く、日本人は冷静なようだ。だが、プーチンが今後どのような行動をとるかわからない。戦術核の使用もあるかもしれない。そうなれば、このような冷静な態度もむずかしくなってしまう。すでに、ロシア料理店へのいやがらせ行為も起きている。
■健全な中間を大切にすべき
だからこそ、いまのうちにはっきりと述べておきたい。日本は、今回の戦争で第三国だ。
日本人は、戦時下の国々のように、「味方か、さもなくば敵か!」という感情的なプロパガンダに巻き込まれる必要はない。
われわれはむしろ、さきの鉄則の反対を行くべきだろう。すなわち、人類の失敗に学びながら、たとえ時間がかかろうとも、冷静に、理性的に、あるべき健全な中間を大切していくこと、これである。
具体的には、ロシアを理解不能な敵とみなさず、ウクライナを完全な正義と思い込まず、それぞれ距離をとって研究し分析し、場合によっては仲裁役を買って出ることなどが考えられる。第三国としての責任もここにあろう。
そしてこのようなプロパガンダへの耐性は、現代進行形のニュースをみるときだけではなく、今後北東アジアで有事が起こったとき、不確かな情報に踊らされないことにもつながるはずだ。
残念ながら、しばらく刺激的なニュースが続くだろうが、思わず過激なコメントしたりすることなどは少なくとも慎んでいきたい。
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